平成2年に,附属高校の「生坂だより」に特別寄稿ということでエッセイを認めました。

ちょうど,この頃,父親の句集が上梓されたので,そのことを記してみました。

籐椅子・・・・・・我が父の初句集よ

 昨日,父の句集「籐椅子」が届いた。これは,父が私の郷里の町,福知山で開業のかたわら,昭和五十一年頃より俳句に手をそめはじめ,現在まで主に「ホトトギス」誌を中心に発表してきた俊作を,東京四季出版より俊英句選集第V期,全三十巻のうちの第二十回配本として上梓したものである。
 私の両親は,かれこれ十五年くらいこの俳句に熱中しており,月の休みのうち,ほぼ半分は句会や吟行に潰してしまって,たまに兄弟が土日を使って帰省しようとしても,スケジュールが合わないことのほうが多いといった状況であった。そして,その情熱がこうして一冊の句集として世に出たわけであり,それは本当に素晴らしいことであると心より慶祝したい。
 さて,門外漢を承知のうえでこの「籐椅子」をひも解くと,幾つかの句が(私なりに)目に付く。

 盆地の小都市で外来のみの開業をしていると,往診は重要な業務になってくる。ものの五分も車を走らせれば,山間部へと入っていく地方で,年老いた担癌患者や,脳血管障害の患者と,診察を通して触れ合って行くことは,確かに最先端の医療ではないけれども,生きている人間を愛する基本としての医療の姿が浮かび上がってくるようである。

 確かに今でも,おそらく親の心子知らずで,好き勝手なことばかりやっている私である。ただひたすら,心の中で,頭を下げる次第である。

 父の句を読んでいると,全体を貫いている温厚さと品格の高さとともに,観察者としての視点の精密さ,あるいは幅広さといったものを強く感じてしまう。そして,これはおそらく医師の視点である。様々な地位,生活,あるいは考え方をもつ多くの人々と,人間同志として接して行かなければならない臨床医にとって,そういったすべての人を愛していかなければならず,そのうえで最終的に医療を行うものとしての視点を忘れてはならない。この句集の中には,私が経験した四倍もの時を医師として努めてきた父の,その医師としての姿勢が確固として表されており,同業者となった私に大きな道標を示してくれるのである。